1998年7月17日

仮設住宅期限延長方針、明らかに

未だに13,800世帯が暮らす仮設住宅住民にとって、この日の発表は「次の冬が超えられるかも知れない」というほど切羽詰った次元での朗報だった。神戸市の判断に折れるかのように、兵庫県は仮設住宅の撤去延長を決定、三度目の延長を国へ申し入れる方針を明らかにした(決定したのではない)のだ。

兵庫県はこれまで、9月を過ぎての仮設住宅の利用は認めず、頑なに撤去する方針だった。県は住環境の悪い仮設住宅での生活は三年が限界ということで、9月末解消の方針を崩さなかったのだ。一部には9月末に廃止した後、補強で順公営住宅として延長する案もあったが、神戸市はこれにも反対していた。

実際は、9月末に撤去すると言いながら、約10,000世帯は行き先がなかった。県は一時移転支援策を提案したが、申し込みは200世帯だけ。災害復興公営住宅の完成待ちで来年三月にはそこへ引越し、入居できる被災者もいる。それまでの間の住宅は民間賃貸住宅を借り上げる制度もあるが、この支援策を使ったにしても、高齢の被災者に度重なる引越しは難しい。また、長い仮設暮らしで培われたコミュニティも維持できなくなり、孤独死などの問題があるのは自明だった。

こうした中で被災者援護法案が可決。阪神大震災被災者に対しても、この法案に沿って援助を行うということにはなったのだが、「仮設住民へは支払えない」とした芦尾参議院議員は先の参院選でみごとに落選。その被災地区での得票率は、まさにこの発言が影響したかのようだったが、この発言を支持するかのように貝原知事は「援助金を支払う頃には仮設住宅は存在しない」(9月末で解消している)としていたが、これで、援助金を払う対象としての被災者が暮らす仮設そのものが存在し得ないという言い訳は、とりあえずしづらくなるだろう。

人道優先、何とか超法規的に仮設で暮らす被災者にも援助金がわたるようにする方策がないものだろうかと思う。第一、「暮らすのは三年が限界」というような施設に暮らしながら、まだ行き先の当てのない方々が少なくないのだ。折から、どん底の不況にある日本だが、被災者はそのどん底という「底の裏側」で、命があるのが不思議なほどの状態におかれているようなものだ。

1998年7月18日  参考:18日付朝日新聞朝刊13版26面(地方面)


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©Daisuke Tomiyasu 1997