2005年1月17日

10年目とはいうが…

10年目の、この日を迎えた。

あの朝が、まだ、たった今しがたのように脳裏にある。揺れた瞬間から続いている耳鳴りは、未だにやまない。

ある春の日、ある街角。子供が、両親とともに家に入って行く。家の門の脇に地蔵がある。子供は元気な声で「お姉ちゃん、ただいま」という。そうか、この子は震災を知らないのだ。あれから6年以上が経って、震災を知らない子供たちが小学生なのだ。時が経ち、自然は、新たな命を育んでいる。

あの時、多くの命を奪ったのは、自然だったのだろうか。全く天災に無防備な、我々の文明ではないのだろうか。未だに、経験を経てなお、テクノロジーで天災から身を護り得ると考えているような、我々の驕りではないのだろうか。人間だけの、共同体単位だけの都合で物事を考え、政治的に振る舞う、我々の驕りではないのだろうか。地球は、まるでそれまでの驕った人間を総入替したいかのように、次々と天災をひきおこす。それでも、我々はまだ、化石燃料に頼り、航空機や自動車の使用を止めるどころか、戦争すら起こしてしまう。イラク戦争は民主主義社会が起こした史上初の戦争である。ブッシュジュニアは、あの決断をした瞬間に、歴史に民主主義国家で戦争を起こした初めての大統領として歴史に名を残すことになった。この傲慢は、果たしてそれすらも神の思うところなのだろうか。再選がキリスト教会の後押しによるところ大だったのは、いかにも皮肉だ。

未だに人の、家庭の戻らぬ空き地がある。その空き地を見て、失った営みの大きさを思う。平和は、のうのうとしていて続くものではなく、命がけで護ってこそ続くもののようだ。では、我々は、あの震災前に存在した平和を、命を賭けてでも守ろうとしていただろうか。それも、自分たちの家族という、ささやかな平和を。

自問自答は、永久に続きそうだ。恐らく、自分を責める面がなくなることはないだろう。PTSD? そうかも知れない。実は、もう一つ、私の人生にとってはとても重大なことがあるのだけれど、それを書くには、私にとってまだ、時がきていない。

10年前には団欒のあったところに、今は灯火が点ることがない。ポツン・ポツンと灯りの欠ける住宅地を遠望するとき、その欠けた灯火の下にあったであろう営みに心を馳せる。この国が保障しないといっている私有財産とは、現代では、我々の暮らしそのものと同義語であり、憲法に保障された健康で文化的な最低限度の生活という権利が現実であるための道具だてだと思うのだが、自分自身に厄災が降り掛からぬ限り、国という単位で保障しないという姿勢は変わらぬようだ。やがて迎える結末は、容易に想像がつく。

日本国という日本国民の私有財産は、国際社会が救済する筋ものではない、と置き換えて考えてみると良い。関東大震災級では被害を保障できないという背景があるかのようにも聞くが、そもそも、関東大震災様の大災害が発生したその時、日本国はまだ日本国という単位であり続けられるのか。既に、未来に膨大な負債を負うこの国が、主権を危うくするほどの、未曾有の大災害に遭ったとき、どうすれば再び国家たり得るだろうか。

この10年、国が後退して行くのを見て、最も欠けているのは未来へ足を踏み出す自助努力だと思ったが、人間が潜在的に持つ自助・向上の能力を人々から奪い、歯車として仕込んだのは、高度成長期の国ではなかったのか。そう、この国は過去の敗戦までの歴史に学ぶことなく、国民から奪いこそすれ、与えようとはしていないのだ。戦後のそれは、幸福追求権という餌で国民を釣って、義務という言葉のもとに奪う。年金システムはその好例だ。最低限の生活を営む権利を蹂躙する額しか供給できないのに、積み立てる側を責め立てる。気づけば積み立てられていたはずの金銭が、泡と消えている。構造の中で奪う側にいれば良い人生が送れるかといえば、さにあらず。奪った側も時代の変遷には勝てず、いずれは奪い返される。国という偶像を具体性を持って動かしたら最後、それが制度という枷になり、人々を飲み込んで行く。この構造は、日本国は主権者たる日本国民の私有財産ではなく、日本国という制度のことだと示唆している。そして、その構造が、大政翼賛的な政治体制の中で、憲法を変えることで絶対的なものに化けかねなくなってきている。ちょうど、SF映画でコンピュータが人間を支配しようとするかのように。

至近の、新潟の例を見よう。とうとう、村一つ見捨てられてしまった。自国の被災者すら救えないのがこの国であることを、改めて悟る。「おねぇちゃん、ただいま」と元気な声を上げていた子が成人する頃、まだこの国は存在しているだろうか。忘れてはいけない。日本国とは、日本国民の生命と、その私有財産の集合体なのだ。決して、政府や自治体が先にあるのではない。

10年目。10年を経てまだ、苦しむ人々がいる。いや、半世紀、一世紀たったところで、恐らく、この心にささった大きなトゲ、苦しみが消え去ることはあるまい。なぜなら、犠牲の膨大さは、まぎれもなく人災によるものだったのだから。

2005年1月17日       


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©Daisuke Tomiyasu 1997