16世紀半ばに初探検されたカリフォルニアは、1769年にフランシスコ会がサン・ディエゴに植民した地。1776年には現在のサンフランシスコに教会が建った。
アメリカとしての西部探検は毛皮や資源のために始まったが、19世紀になると公的援助による探検隊が測量と地図の作成を行うようになった。
ちなみに、東海岸から最初に太平洋に到達したアメリカ人はルイスとクラークという二人で1805年のこと。そのルートはミズーリー川からコロンビア川を辿る北部ルートだった。
ロサンジェルス周辺では、シェラネヴァダ山脈の東側大盆地を1827年に初横断したスミスという男がいたらしい。
ロサンジェルスのあるカリフォルニア州からアリゾナ、そしてコロラド西部は、北はソルトレイクの北緯42度、東はサンタフェやアルバカーキを結ぶライン、そしてエルパソからツーソン(南部大陸横断鉄道のための1853年のガズデン購入地)を北へ避けて海岸線までの区域として、1848年、メキシコ戦争の
結果、グァダルペ・イダルゴ条約でメキシコが割譲した土地である。この土地が後にニューメキシコ、コロラド、ワイオミング、ネヴァダ、ユタ、アリゾナ、そしてカリフォルニアとなった。
カリフォルニア州の成立は1850年9月9日。移住者を待ち望んだこの広大な土地は、20世紀半ばを過ぎてから、吹き出した石油と水力発電で全盛期を迎えた。
他にも、オレンジやぶどう作りによるワイン醸造は有名だし、映画の都ハリウッドはここで説明するまでもない。
ロサンジェルスには日系人も数多く、ダウンタウンの中心にあるリトル・トーキョーには、日本人のみならず全米からの観光客が訪れる。リトル・トーキョーには日系人ミュージアムがあって、アメリカへ渡った日系人の歴史を、
資料から学ぶことができる。博物館の脇には、昨年再現された第二次世界大戦当時の日系人捕虜収用所の建物、通称バラックが再現されている。
また、毎年8月にはニセイ・ウィーク・フェスティバルが催され、盛大なパレードやイベントで盛り上がる。今1996年は11日にパレードが行われる。
ロサンジェルス市街の南東が、スタート地点のある、オレンジカウンティのアーヴァイン。隣はロングビーチ市。1881年にウィルモア市として建設されたが、後でその長く美しい海岸線からロングビーチと改名した市である。ニューポートビーチのジャズフェスティバルなら、
ご存じの方もあるだろう。工業・港湾都市だが、一年中温暖な気候のリゾート地でもある。
ここをスタートして、RAAMの選手が駆け抜ける地帯は、旧街道からは離れている。それは、今日の文明をもって初めて開けた場所。つまり、1884年にサンタフェ鉄道が開通した、
そのルートに沿っている。鉄道はフラッグスタッフを抜けて東部へとつながる。が、RAAMのコースはフラッグスタッフから北上する。
カリフォルニア州からアリゾナに入り、フラッグスタッフへ抜けるルートで目に付くのは、丘の上に並ぶ風力発電の風車の列だ。
石油の産出地であったロサンジェルスエリアは、今やスモッグから世界一厳しいといわれる排気ガス規制法を施行し、なおかつ地理的条件から得られる風力を利用する、 という具合に、ソーラーエネルギーも利用し、未来にむけて努力しているわけだ。