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1750年頃にノースキャロライナからの移住者によって開拓が始まったのがテネシー州。1790年に準州、96年に16番目の州となり、1861年5月7日に連邦を離脱。 1866年に再び合衆国連邦の一州になった。州都ナッシュビルは1933年にできたTVA(テネシー川流域開発公社)によって発展した。黒人指導者を多く輩出したフィクス大学をはじめ16の大学と70の教会がある。 レースが通過するメンフィスはアメリカ合衆国15番目の都市。1819年にジャクソン将軍によって建設され、その名はエジプトの都市にちなんでいる。ミシシッピに面した内陸港は、今日、年間1200万トンを越える貨物を取り扱う。

アーカンソーとテネシーの州境、テネシー州メンフィスは、南北戦争中、1862年6月5日の闘いで、連邦軍が勝利を納めた場所だ。 ここからミシシッピ川沿いに、シャーマンやグラントといった将軍の率いる連邦軍が南進していった。
1864年12月15〜16日にナッシュビルで大勝利を納めたグラントは、シャーマン将軍を南東へ送る。 連邦軍は、南北合わせて34,600人あまりの戦死者を出したチモチカの闘いで大損害を被り、チャタヌガに撤退・占領。シャーマン将軍率いる連邦軍は、鉄道線路沿いにジョージアへ進軍する策をたてた。 つまり、ここテネシー州とヴァージニア州が、南北戦争の戦場としては、最も関わりの深い州なのである。

画像は東部を流れるテネシー川。
西から旅してミシシッピ川に到ると、町のあちこちで、流域独特の名物料理「キャットフィッシュ・フライ」の看板が見られるようになる。 キャトフィッシュとはナマズのこと。たっぷりの油で揚げた白身のナマズの美味しさには、なかなか忘れられない郷土料理の趣がある。 頬張っていると、どんよりした南部の風の中から、いつもテネシーワルツが聞こえてくるような気持ちにする味のように感じる。 味と言えばもう一つ、テネシーウィスキー(バーボン)がある。こちらは、ナッシュビル・テネシーと言えば、のナッシュビル・サウンド。カントリーミュージックのビートだろうか。 レースのルート上にも、代表的な銘柄の醸造所の案内板があった。

州西部ミシシッピ流域は綿花栽培、そして東部はタバコ栽培が盛ん。旅をしていてレストランで堂々とタバコを吸えるのも、今やこの州くらいかも知れない。 それは、レストランの入り口に、「レストランでの喫煙を禁止していないことを誇りに思う」という張り紙まであったほど意識的なものだ。 タバコが体に悪いから止めろは分からないではないが、同時に、農家への代替作物の斡旋や補助といった救済策はとれないのかなぁ、と思う。

ミシシッピを越えて、いよいよ本当のレースが始まると言って良いかも知れない。脱落する選手は、ここまででリタイアするからだ。


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©Daisuke Tomiyasu 1996