ジョージア州は建国13州の一つ。1861年1月19日に連邦離脱、1870年に復帰した。赤土の土地は亜熱帯性の気候らしい植生に覆われている。
雨が多く、年間降雨量は1250mm前後。綿花が代表換金作物だが、牧畜・養鶏による収入が大きい。タバコ・落花生・
モモ・スイカ・ピーカンの名産地でもある。林業も盛んで、マツヤニはテレビン油を大量に産出する。
州都アトランタは今回のオリンピックの舞台。レースのフィニッシュであるサバナでは、ヨット競技が行われた。
アトランタは商工業・交通の中心地であり、歴史上の南北戦争の激戦地でもある。 1864年、撤退しているとはいえ強力なジョンストン将軍に率いられる南部連合軍は、シャーマン将軍率いる連邦軍との死闘を繰り返した。 1864年8月26日、南部連合軍はアトランタから撤退、連邦軍は9月2日、アトランタを占領したのだった。
フィニッシュのサバナは独立戦争の舞台の一つ。1733年2月12日、イギリス議会議員で軍人でもあったオグレソープ将軍は144人のイギリス人男女と子どもをひきつれ、 サバナ川を上り、国王ジョージ2世の名のもとに、この地方を大英帝国の直轄植民地とした。オグレソープ将軍はサバナに街を作るにあたってを碁盤の目状に設計し、一定間隔で公園を配した。その美しい街は、今も健在だ。 独立戦争当時の1778年12月29日、サヴァナはイギリスによって占領された。アメリカは同盟国フランスとともに奪回を試みるが、連合軍でもサヴァナを取り戻すことはできなかった。
結局、サヴァナがアメリカの領土として確定するのは、1783年の講和条約成立からである。
1864年11月15日、シャーマン率いる連合軍は62,000人の兵士とともに、20日分の食糧を持ってアトランタを離れ、左右二軍に分かれてサヴァナへ向かう。37日間に及ぶ海への進軍である。
この進軍中、シャーマンは機会あるごとに建物を焼き払い、食糧などの必要物資を略奪。南軍の士気を低下させた。12月21日、サヴァナを陥落させたシャーマンは、その街の美しさに魅せられ、
「この街こそ北軍最高司令官であった大統領リンカーンにふさわしいクリスマスプレセントだ」と賛えたという。
今日のサヴァナは、貿易港であり、観光地である(右・DC-1)。市街地は可愛い馬車で散策できる。近海もののシーフードの味はまた格別。パブやクラブはもちろん、ストリートで深夜まで繰り広げられるジャズやバラードにブルース、そしてロックと、 音楽にあふれた街でもある。記憶に新しい映画の話題作フォレストガンプが撮影されたのも、ここサヴァナ。博物館には、フォレストガンプの撮影で使われたベンチや、 1900年代初めに盛んに行われた自動車グランプリレースの記録写真などが展示されている。
ジョージア・オン・マイ・マインド。西部のフロンティアとは全く違った、アメリカの歴史をどっしりと抱え込んだ地があることを、この歌は思い出させてくれるのだ。