帰国後 −気になった微震−

 取材を終えて、神戸の引っ越しを控えた仮住まいの借家に戻った。設計段階にあった2×4の我が家の設計に、ノースリッジの経験から得た改善策を加えた。先ず、迷っていた暖房機具だが、ガスストーブを止めて薪ストーブに決めた。ガスラインが切れたら暖が得られないからだ。続いて、配管距離が最小になるように配慮し、間違っても家屋を横断するような配管はしないようにした。ここで、敷地内の家の取り入れ口までの配管も露出配管にしたいと申し出たが、これは法規制から無理だった。ガレージや窓のシャッターは、チャツワースの友人宅で電気がないために中の発電機が取り出せなかったという経験談をもとに、手動とした。

 その他で特に記しておきたいことと言えば、屋根に瓦を使わず、コロニアルとしたことだ。これは、九州福岡に在住していた時にさんざん台風を経験し、その都度雨漏りの酷くなる屋根に閉口していたからだ。瓦はすぐに同じ品物がなくなり、割れても補充は利かないし、その上、強風時には隙間から雨水が逆流する。しかも、その箇所を発見するのは極めて難しく、屋根瓦は不適切というのが私の結論だった。瓦については、阪神大震災においても、重たい屋根は不利に働くという結果が出た。

 さて、「関西には地震はない」という大方の意見をよそに、私には一種の心配な事象があった。それは、帰国後偶然に頻発するようになっていた微震だ。ドンッと突き上げるようなその感覚は、チャツワースで経験した余震とあまりに似ていた。また、ノースリッジの地震を伝えるテレビ番組に登場した一人の専門家が「関西には活動期に入った活断層がある」と言っていたのを聞き流せなかったこともあった。

 それから一年。我が家は9月末に完成し、引っ越しと仕事に多忙な日々を送ったが、その間も幾度かの地震を体感した。正月を過ぎて、TV番組の間で地震時の策を報じるスポットが目に付くようになると、「これは近いのでは?」という気持ちが強くなった。だが、それが何時であるかは分からない。不要に不安を募らせても仕方がない、と自分を慰めつつも、1月14日には行き付けの飲み屋で「ないとは言えないよ」などと話していた。


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©Daisuke Tomiyasu (OverRev) 1997