私は、幾度も自殺の話を聞き、また、新聞の地方欄で読んでいる。最近の例では、ある母親が、息子の見ている目の前 で、娘とともに踏切自殺を遂げたという。
どうして、自殺が後を絶たないのか。希望がないからではないか。例えば、震災前の借金は返済を3年間据え置く措置が取られている。つまり、返済 義務は、あと1年半で再開する。もし被災者が震災前の住宅のローンを背負っているとして、その借金は住宅が残っているかどうかにかかわらず 返済しなくてはならない。被災地の地震保険加入率は僅かに3%に過ぎない。震災後の火災で焼失した家屋では、火災保険は支払われていない のが実情だ。
仕事のある人は、住宅を再建するためにローンを組むこともできる。だが、3年を経過した時、失った住宅との二重ローンの返済に追われる ことになるケースは、決して少なくないだろう。悪いことに、バブル後の不況である。景気は僅かに回復しつつあるというが、未だに企業 ではリストラの嵐が吹き荒れていて、時期的にも、充分な雇用があるとは言えない。
神戸の被災者は地震で仕事をなくし、不況で再就職できず、或いはリストラの嵐の中で震災前の職場と同等の所得のある仕事に就けずにいる。 加えて、自宅を再建した人には、倒壊住宅との二重ローンが待っているのだ。
自殺の直接の原因が地震だとは言えないかも知れない。だが、多くの人々の人生設計が狂ってしまったことだけは、間違いない。
仮設住宅での独居者が死後に発見されるニュースも、依然として後を絶たない。
僅かな率の集合住宅が、復旧・補修に着工している。その他の多くの集合住宅では、意思統一は暗礁に乗り上げている ようなものだ。住民の意見が一致しなければ、修理も、建て直しも出来ない。
若い居住者であれば修理費や再建費を負担しても、まだ支払える可能性がある。だが、高齢の居住者はそうは行かない。 考えてみれば、80才を越すような高齢者では、あと何年生きられるか、という気持ちにもなるだろう。
再建が終わるまでの間、仮の住まいを借り、その家賃を支払わなくてはならない。そして、再建となれば数年はかかる。 既に定年退職を遙かに過ぎ、今さら仕事が見つかるわけでもない。そのような方々が自己負担で住居を再建することが可能だろうか。 再建後を見越して権利を売却しようにも、数年先にようやく再建される集合住宅になんぞ、買い手があるわけがないではないか。
三宮を歩く人たちの顔に、笑顔が戻った。そんな人たちの片隅に、時折酷く落ち込んだ人を見ることがある。
まさに「希望のかけらすらない」という表情。テントやテント程度のもので雨露をしのぎながら、自分の土地や公園の片隅に
暮らす方は、まだ皆無ではない。
© Daisuke Tomiyasu