諦めの悪さには自信ありで、未だに木星と格闘。盆休みの工場群の休みのためか清んだ視界となり、本当に久々に、4クラスのシーイングに恵まれた。GX100よりもGX200のほうが撮影可能枚数が少ないということから利用を躊躇っていたのだが、撮った画像の細部を良く観察すると、どうもシャープなGX100に対して質感のGX200のようなので、物は試しとGX200で撮ってみた。
さすがに147枚と、200カットを大きく下回る数だったが、少々時間が長すぎるのも構わず355枚を合成した同日同夜に撮ったGX100の画像(右)よりも出来が良いように思う。もっとも、画像の調整で全く違う手順を踏むなど、少々考え込まされはしたが、それもまたパズルを解くような楽しさのうちだ。
これでカット数が倍も稼げたら大変な画像になる…かも。
久々のコリメート撮影画像。カメラはRICOH GX100。軽量なので、光軸がたわみにくい。その上、リモコンレリーズがあって非常に使いやすい。バッテリーライフも長いので、星見を楽しみながら撮っていられると、良いことだらけ。惜しむらくは連写性能だけれど、カタログスペックとは違って使ったSDメモリの記録速度が速いおかげか、小さめのJPEGサイズで保存したところ、2分間に200枚以上が撮影できた。カードの速度にもよるのだろうが、そう捨てたもんじゃあ、ない。実はファインカムが壊れてしまって諦めていたのだけれど、これでまた、コリメート撮影にも余地が出てきた。
ところで、この合成は全てMacの上でやっている。Leopardの走っているMacBookProにCroosOverをインストールし、そこでStellaImageを動かしたのだ。ちなみに、定番のResistaxも動く。お陰で、Windowsマシンとは決別である。
日本で何が難しいといって、良いシーイングに恵まれようとすることほど難しいことはない。春先から連休にかけて、連日悲惨な状態が続いてきて、ほとほとうんざりだった。「ほら、あれが木星」と誰でも簡単に指差せるほど明るく ─ それこそ、曇天だろうが木星は見える ─ それほど明るく輝いているというのに、望遠鏡に導入すると、地球の大気超しに星をみることの不具合の説明のように典型的な、プールの底から見上げたようなプヨプヨ状態なのだ。
この画像はたまたま、運良く比較的シンチレーションがやや収まった頃合いに撮影したもの。京セラのファインカムSL400R(京セラのデジカメ撤退で叩き売り状態だから、2万円以下で買える)で撮影。他にDV(Canon FV500)でも撮ってはみたが、うまく行かない。どぉもビデオには縁も運もないらしい。
ところで、VixenのGPD-PC(Skysensor2000PCが組み込まれたモデル)を下取りに出して、G11赤道儀を発注した。なんでも在庫払底・入荷未定なんだそうで、待ち遠しい。GPD-PCにはドイツ製のベルリバッハの木製三脚を奢っていたのだが、これが振動を吸収するんで、すこぶる具合は良かった。ただただ、画像撮影となるとフレーミングの微調整などに苦労するんで、ついに辛抱が尽きたといったところ。この撮影はGM8だが、経験から、ロスマンディはやはり最良の赤道儀だと、私は思っている。
トップページにも記しているが、このオライオン152mm f5は 旅行用可搬望遠鏡としての限界サイズ。果たしてこれで、TV-85で押された烙印「Hopelessly Fuzzy」から逃れられるか…右の画像でも、答えは出ていると思う。
これは、1/8λP-Vのご利益を示した端的な例だ。ミラー精度が低ければこんな画像は望むべくもないし、Hiluxコートでなければ像はもっと暗くなり、撮影するにも、遅いシャッタースピードがシンチレーションの影響を大きくする。あらゆる意味で、対象をしっかり観測できる限界値なのかも知れない。
今日のデジタルカメラによる撮影の潮流は、望遠鏡にも違ったスペックを要求している。例えば、高橋がMT160を再生産するという噂などは、その典型的な現れだろう。しかし、タカハシは歴史的に見れば屈折で名を成した望遠鏡メーカーで、五藤の反射式との双肩であったことは、諸兄のほうが良くご存知だろう。五藤が一般対象の市場から撤退したことを、本当に残念に思う。と、同時に、例えタカハシがMT系を再リリースしたところで、オライオンのコストパフォーマンスを含めた優位は、揺るぎようがなかろう。
Copyright © Daisuke Tomiyasu 2001-2005